2007年07月28日

オシュ (オシ)、キルギス

 
この街を私はオシュと書いたがオシと書かれることもある。

英語では"Osh"と書くため「オシュ」と発音されることが多いが、キリル文字では "ош"と書きオシューだかオシャーだか良く分からない。とりあえずここでは「オシュ」としておく。

ちなみに「キルギス」も日本語の正式名称「キルギス共和国」からここではこう書いているが、本によってはキルギスタン、クルグスタン、クルグス、と様々だ。

おぼろげな記憶によると、この界隈の国名に多い「〜スタン」は「〜人の」と言った意味合いだったはずで、例えばカザフ人の国はカザフスタンだ。だったら「キルギス」ではなく「キルギ」ではないかとも思うのだが,良く分からない。

ちなみに"キルギス共和国"はキルギス語だと"Кыргыз Республикасы"となり、ロシア語だと "Кыргызская Республика"となる。確かに"クルグス"方が現地の発音に近い気もするが、ここまで来ると良く分からないのでどうでもいい。所詮外国語、日本語で書くのに無理があるのだ。

osh_twn3.jpg

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この街を私はオシュと書いたがオシと書かれることもある。

英語では"Osh"と書くため「オシュ」と発音されることが多いが、キリル文字では "ош"と書きオシューだかオシャーだか良く分からない。とりあえずここでは「オシュ」としておく。

ちなみに「キルギス」も日本語の正式名称「キルギス共和国」からここではこう書いているが、本によってはキルギスタン、クルグスタン、クルグス、と様々だ。

おぼろげな記憶によると、この界隈の国名に多い「〜スタン」は「〜人の」と言った意味合いだったはずで、例えばカザフ人の国はカザフスタンだ。だったら「キルギス」ではなく「キルギ」ではないかとも思うのだが,良く分からない。

ちなみに"キルギス共和国"はキルギス語だと"Кыргыз Республикасы"となり、ロシア語だと "Кыргызская Республика"となる。確かに"クルグス"方が現地の発音に近い気もするが、ここまで来ると良く分からないのでどうでもいい。所詮外国語、日本語で書くのに無理があるのだ。

オシュは人口22万人、キルギス第2の都市であり州都であり特別市でもあるが、地味だ。

osh_twn1.jpg

osh_twn2.jpg



なんというか、街に賑わいがあまりない。

賑わわない街はいくらでもあるが、オシュは"キルギス第2の都市"である分余計寂しく感じる。これでも8世紀には大シルクロードの拠点として賑わった場所で、街の人は「ローマより古い」と自慢するのだが。

osh_stt.jpg



街中に店もないではない。

osh_shop.jpg

osh_soda.jpg


オシュの街にはキルギス人よりウズベク人の方が多い。

1990年オシュ紛争と呼ばれる土地争い/人種対立から200人以上の死者が出ている。どこかで見た画像では鎌を持った農民たちが殺し合いをしており、私の頭の中にはちょっと怖い場所という印象もあった。つい最近放映されたNHKの新シルクロードという番組では「今はキルギス人もウズベク人も兄弟のようなものです」などと言ってはいたが、農具で家族や知人を殺された人の悲しみは、20年もしないで消えるものなのだろうか。



もともとオシュの周辺は各国国境が複雑に入り乱れ、相互に飛び地もある。そのためこのエリアは密輸や麻薬取引の拠点でありイスラム系反政府ゲリラの拠点ともなっている、という話だ。また国境や飛び地エリアには地雷もあり、犠牲者は数十人になるらしい。一応未だキルギス全域に「渡航注意」、オシュ州北東部及びジャラル・アバード州に「渡航の是非を検討」、オシュ州南西部及びバトケン州、並びにオシュ州北東部及びジャラル・アバード州南部のウズベキスタンとの国境付近に「渡航の延期をおすすめ」の危険情報もまだ出ている。


osh_map.jpg



1999年のキルギス日本人誘拐事件事件は、「犯人はタジキスタンから来たウズベキスタン人のイスラム反政府組織で交渉はアフガニスタンで行われた」と言われており、もう何がなんだか分からない。ちなみにこの事件の真相は、未だに公表されていない。


カシュガルからオシュまでのルートも、キルギスというよりウズベキスタンの要望で作られている。ウズベキスタンにしてみれば「世界の工場」中国の製品を輸入するのに全くもって好都合なルートなのだが、キルギスは既に中国との国境ルートを持っているので、無理をする必要はなかったのだ。ちなみにオシュのバスターミナルからウズベキスタンまでは2km程の距離だ。



とまぁこの辺は何かと因果な土地なのだ。
酒でも飲まなければやってらないようで、イスラム文化圏であるのにも関わらず、旧ソ連ということもあり、朝から立ち飲みのウォッカを売っている。1杯5com。

osh_watka.jpg



ただ中国との貿易、というより中国からの一方的な輸入により、この街のバザールは賑やかだ。フェルナガ盆地最大のバザールがここにはある。街があまりにぱっとしないので見物に行く。さぞや中国製品だけがあふれかえっているのだろうと思ったのだが、想像より旧ソ連やインド、パキスタンの製品なども多かった。

osh_bzr_ent.jpg

osh_bzr1.jpg

osh_bzr2.jpg



バザールはそれなりに楽しかったが、所詮はキルギス、それほど大きなものではない。フェルナガ盆地最大は知床半島最大とさほど変わらないのだ。


バスに同乗した他の旅行者も、特に見るべき物を発見できずに宿に戻ってきて、口を揃えたように「早くビシュケクに行く」と言う。歴史や政治的な背景を考えるとなかなか因果で興味深い街なのだが、観光的には弱い。強烈な日差しの中団地を小規模商店を見て歩き、バザール見物が終わったら観光はしにくいのだ。ロンリープラネットにあった丘や寺院に行ったイギリス人は「極めてに興味を引かれなかった」と感想を漏らした。


せめて食事くらいは楽しみたい。
例によって宿のオーナーに「現地の人が行く安くて旨い店」を尋ねると「パスタは好きか?」などと言う。何もここまで来てパスタなんぞ喰いたくないのだが、その正体は実はラグマン、中国で食べまくっていたラグメンだった。

oah_bzr_menu.jpg

osh_dinner.jpg

osh_dinner_ragman.jpg


なかなか悪くない味ではあったが、中国のラグメンの方がもう少し安くてもう少し量があり、そしてもう少しおいしかったようにも思う。


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